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フライングシアター自由劇場とは
私は1966年アンダーグラウンド自由劇場として劇団活動を始め
1975年にオンシアター自由劇場と改名し
1989年にシアターコクーンのフランチャイズ劇団となり
1996年に30年間続けた劇団オンシアター自由劇場を解散した。
27年後の今、再び自分自身が探し求める演劇活動『自由劇場』を再開するために
『フライングシアター自由劇場』と名を改め、企画創作していく。
“フライング”は飛んでいるというイメージも湧くが、以前から考えていたのは
ワグナーのオペラ「彷徨えるオランダ人」(フライング・ダッチマン)。
そう、これからも今まで通り、私の演劇魂は飛ぶように彷徨い続けていたい
それが私の永遠の、大いなる願望である。
フライングシアター自由劇場 串田和美
2023年10月
自由劇場のあゆみ
2023
フライングシアター自由劇場 として
企画創作を開始
フランスのアヴィニヨン演劇祭に参加
黒テントとの共同プロジェクトで参加。シアターコクーンで生み出された『スカパン』『ティンゲルタンゲル』で現地で絶大な賞賛を得る。
1996
1995
オンシアター自由劇場 解散
串田和美のシアターコクーン芸術監督任期満了と同年、劇団員ひとりひとりの今後の演劇活動をもう一度考え直すために、劇団活動に休止符を打つ。
1989
Bunkamuraシアターコクーンのフランチャイズ劇団に
同年9月の東急文化村のオープンとともに、串田和美が芸術監督を務めるBunkamuraシアターコクーンのフランチャイズ劇団に就任。新作『A列車』で柿落とし公演を行う。
『上海バンスキング』初演
79年の初演を皮切りに、翌80年に再演し第14回紀伊國屋演劇賞団体賞と第24回岸田國士戯曲賞を受賞。81年・83年に銀座の博品館劇場に進出。84年は全国51ヶ所を巡演。88年には映画化もなされた。その後も再演を重ね、94年夏のシアターコクーンでのラスト公演まで、総上演回数は435回に達する。
1979



1975
自由劇場 を
オンシアター自由劇場 に改名
串田和美と吉田日出子を中心に改めて劇団として結成。地下の小劇場を拠点としながらも、「気持ちだけでも明るい地上に出ていこう」という想いや、さらに広い観客層に観てもらいたいという願いを込めて「オンシアター」と命名。
『上海バンスキング』(1980)より
会場:六本木・自由劇場
戦前のジャズマンを演じる俳優自身が演奏し、歌う。
”演劇と音楽”の深い表現は、串田和美の真骨頂。
演劇センター68/70
1968年に自由劇場、六月劇場、発見の会の三劇団の連合組織である「演劇センター68」として発足。70年に大型の移動式テント劇場を創設し、約半年間をかけて、全国移動公演の旅を敢行。
https://db.epad.jp/s/4415 参照
1968


『翼を燃やす天使たちの舞踏』より
(手前右が串田和美、俳優として参加)

1966

自由劇場 立ち上げ
俳優座養成所出身のメンバーで構成され、西麻布の硝子店の地下室を改造したアンダーグラウンド・シアター自由劇場を拠点に活動。

創立メンバー(1列目右から、串田和美、吉田日出子。2列目右から1番目が佐藤信、5番目が地井武男、6番目が観世栄夫。3列目右から斎藤憐、清水紘治、村井國夫。)


シアターコクーン 柿落とし作品
Bunkamura・オンシアター自由劇場公演
『A列車』(作・演出:串田和美)
1989年9月3日~26日
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